2012年4月25日

新蔵建設工事が始まりました

みなさんこんにちは。

宮城では、県中央部の仙台あたりまで桜が咲いたようです。
我が町は仙台から約80kmも北に位置していますので、開花まではもう少し時間がかかりそうです。

さて、いよいよ新蔵の建設工事が始まりました。
計画では8月末には完成予定ですが、震災後ということもあり、微妙なところです。
とにかく無事に完成することを、今は願っています。予算もキビシイですし(^^;

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当家の本家に当たり、蔵のすぐ斜め向かいにある史跡『旧有壁宿本陣』も、やっと改修工事
が始まりました。何棟もある土蔵が、かなりやられていました。

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~以下旧有壁宿本陣について。市のHPより抜粋~

武家社会の息づかいを今に伝える奥州街道の宿駅、それが旧有壁宿本陣です。
慶長八年(1603年)、徳川家康が江戸に幕府を開くと、江戸は政治の中心とともに、
交通の枢軸にもなり、国内の交通が江戸に向け、整備されるようになりました。
いわゆる「五街道」とは、そのときに整備された江戸と地方を結ぶ5つの主要幹線で、
人と物資の移動を支え、江戸の発展に大きく貢献しました。当時、みちのくの地と江戸は、
五街道のひとつである「奥州街道」で結ばれ、江戸日本橋を起点に奥州白河までの二十七宿
からなっていました。金成の町に今も残る「奥州道中」は、この奥州街道の延長道で、
幕府勘定奉行である伊達藩の管轄の下、白河以北から青森の三厩まで維持・整備されてきました。
旧有壁宿本陣は、元和五年(1619年)に奥州道中の宿駅として創設され、参勤交代制度が確立後は、
松前・八戸・盛岡・一関の藩主や各藩重臣が通行の際に宿泊した場所として知られています。

現存する建造物は、延享元年(1744年)に改築されたもので、まず目につくのは道路に面して建つ
二階建長屋とその脇にある御成門です。どちらも江戸の武士社会の息づかいを今に伝える趣深い
建造物となっています。
なお、藩公や幕府及び各藩重要役人が利用した御成門は、明治9年と明治14年に明治天皇が出入り
されて以来、現在まで堅く閉じられ、諸人の利用が禁じられています。
また、藩主たちが利用したのが、本陣の心臓部となる「上段の間」で、その名の通り、床がほかの
部屋よりも一段高くなっています。造りは、天井が高い竿縁天井で、縁に面した書院窓がつくという
典型的な書院造りでありながらも厳粛な佇まいをみせてくれます。ちなみに、こうした典型的な書院
造りがみられるのは東北では当本陣だけとなっています。
さらに旧有壁宿本陣の特徴としては、資料の充実が挙げられます。これは延享元年の火災以来現在
まで二百年以上もの間、炎禍から免れてきた結果で、「宿駅検断文書」「本陣宿泊文書」
「佐藤家内文書」などの資料が残されています。これらの資料は、江戸時代の様相や宿駅の経営を
伝える重要な歴史資料として当本陣に展示されています。

なお、この旧有壁宿本陣は、主要街道の重要な遺構として、昭和46年5月に、国の重要な史跡として指定されました。
●交通アクセス:東北自動車道若柳金成インターチェンジから自動車で15分

注 現在見学はできません。